この気配
珠世様
愈史郎
しっかりして
愈史郎、手伝ってください
脈を取ってもらいますか
はい
珠世様、鬼がここに近づいています
まだ俺の血鬼術は破られていませんが、この近くに
今はこの患者の治療が優先です
はい
珠世様、喀血です
しっかりして、愈史郎、手拭いを患者に
はい
患者の顔から血の気が失せ、脈拍も弱く、呼吸も虫の息
彼の命の灯火は今にも消えそうなのは明らかだった
珠世様、もう
俺にした手術は行わないのですか
成功の確率がわずかであることは分かっています
しかしこのままでは患者の命は助からない
もし失敗したとしても
珠世様の研究のお役に立つはずです
愈史郎
はい
あなたは今、鬼になって後悔はありませんか
珠世様
もし生きたいという強い意志もないであれば
私は鬼になってまで生きる必要はないと思っています
先生、あと一日、あと一日生かしてくれさえすれば、私は
珠世様
あと一日だけ
鬼滅の刃 夜明け前の研究
珠世様が街にうずくまっているこの患者を保護したのは十日前のこと
すでに息も絶え絶えだった
生き続けることを望んでいたようには見えなかったが
そこからの生命力は凄まじく
今日まで生き長らえた
なのに
あと一日だけ
その患者が初めて発した言葉だった
あなたは生きたいのですね
先生、先生
珠世様、こちらへ、お時間は取らせません
もう手の施しようがないのではありませんか
そう
であれば、息絶える前に俺にした手術を彼にも行うべきです
愈史郎
そこから珠世様はひとしきり生きるためには鬼になるしか方法がないという説明と背負うである大きな負担
そして成功例が殆どないことを伝え
患者はそれを了承した
では始めます
これから行う手術は、あなたの体を治すものではありません
ちがうものにかえてしまうものです、人にあらざるものに
進めましょう、これ以上考えてる時間はありません
その後珠世様は殆ど口を開くこともなく集中して準備を進め
鬼の力作った液体を患者の体に注入した
愈史郎、体を抑えて
珠世様、患者の腕が、血管が暴れているようです
初動でよく見る現象です、持ち堪えてくれれば
血管の暴れが全身に
頑張って
眠っているようです、うまくいったのでしょうか
分からない、仮にうまくいっていたとしても
まだ一つ目の山を越えたに過ぎない
これから何があるか分かりません
はい
体を寝具にきつく固定しておいてください
はい
直美、直美
誰でしょうか
奥さんか娘さんか
珠世様、大丈夫ですか珠世様、少し休まれたほうが
ありがとう、私なら大丈夫です
こんな時ですが、鬼が近づいてきています
ここを引き払い出発しましょう
この患者を置いていけないということであれば
俺が担いていきます
待って愈史郎、こちらに向かってくる鬼と戦い、血を採集します
それは危険です、鬼が来る前にここから離れましょう
いいえ、新しい鬼の血はどうしても欲しい
一年前、俺に鬼化を施したあと
珠世様は俺を連れて直ぐにその土地から離れましたよね
その理由を尋ねたら、珠世様はこう仰りました
私は鬼舞辻たち鬼から逃亡者と呼ばれ、追われる立場にあるのだと
鬼たちに探り出される前に、身を隠さなければいけないと
なのに鬼の血を求めて敢えて近付くなんて、それじゃまるで
言いたいことは分かっているつもりです
いいえ、珠世様は矛盾されています
俺はあなたを危険に曝したくない
愈史郎、そうね
あなたの言うとおりだと思います
でも、その矛盾は私の正しい気持ちでもあります
珠世様、先程珠世様が俺に仰った質問の答えです
あなたは鬼になって後悔はありませんか、と仰りましたが
俺は鬼になったことを後悔などしていません
珠世様と日々ご一緒できて幸せです
愈史郎、あなたはいつも私を気遣ってくれる
あなたの存在は私の希望です
でも、そのあなたに永遠の苦しみを与えてしまったのではないかという負の感情も私の中に存在する
そんなことを珠世様が感じる必要はありません
俺は
珠世様、患者が
もう一つの薬を注入します、お願い、効いて
直美、直美
珠世様
魘されて、夢を見ているのですわ
直美、綺麗だ、綺麗だよ、直美
ここにいますよ、しっかりして
珠世様
心音停止、呼吸停止、愈史郎、蝋燭を
瞳孔散大、対光反射の消失を確認
患者の死亡を確認
ごめんなさい、願いを叶えてあげられなくて
珠世様
時間はありませんね、愈史郎、ご遺体を手術室に運んで頂戴
この方には申し訳ありませんが、直ぐに解剖を始めます
はい
愈史郎はここを出る準備を
鬼の血液の採集はいいのですか
いいえ、この患者の解剖を終わらせ、今後の研究にいかす
そして鬼と戦い、血液を手に入ったあとにここを出ます
流石珠世様、わかりました
すでに鬼は、愈史郎の目隠しの術を見破り
ここへ向かっていると考えるのが妥当
はい、すでに鬼が一人林の中に入ってきています
鬼は、ここを発見したと思い、攻撃してくるでしょう
しかし、私達にとってはおびき寄せだと考える
はい
この建物の敷地内に鬼が入ったところで、私は視覚夢幻の香を発動させます
そのことで、鬼は一時的ではありますが、身動が取れなくなる
その隙に、愈史郎は建物の裏から目隠しの術で近付き
鬼の体にこれを挿してください
血液の採集ですね、ならこれを使っていいですか
前の戦闘を参考にして新しく作ってみました
もちろんです
血の吸い上げが自動的行われる仕掛けを足してあります
では解剖を急ぎます
珠世様、手伝います
愈史郎はここを脱出する準備を
準備はすでに済ませています、研究資料もすべて荷物の中です
ありがとう
どうですか、珠世様
見て愈史郎
それぞれの臓器から出血が見られますね
ええ、これまでには見られなかった症状です
患者の各種臓器が一度に機能不全に落ちている、というより破壊されている
鬼の血が患者の臓器を喰らった、俺にはそう見えます
これはカラス缶に入れて、持っていきます
はい、鬼が最後の曲がり角に入りました
この方の埋葬を急ぎましょう
はい
ここが終着点か、岩壁の向こうにないはずの建物っていうのは小癪なことをやる
では、始めるとするか
鬼が悠然と敷地に入ってきた、やたら大柄の鬼だ
手に持った鉛玉のついた鎖を振り回して、建物の壁を破壊している
見つけたぞ、逃亡者を
惑血·視覚夢幻の香
珠世様はすかさず腕を引っ掻いて血を流し、血鬼術を放った
何だこれは、目眩ましか、妙な技を使う
当たらない、いいえ、存在しない
俺は珠世様と別れて、別方向から目隠し術で近付き、この注射器を
もう一匹いるのか、ちょろちょろだ
お前か坊主、あっちこっちに落書きを貼ったりここを目隠ししたのは
でもまあ、目がいいのは坊主だけではないぞ
目がいい? 珠世様、やつには見えています、幻覚が見破られています
逃亡者、お前の首を持っていけば、あの方の寵愛を受けることができる
見えている、この鬼は幻影に惑わされない目を持っているんだ、本物の珠世様が見えている
珠世様!
愈史郎
腕の一本切り落とされたぐらい平気です
お前なんかに珠世様に指一本触りさせるものか
今度もひとまず違いますよ
視覚夢幻の香
前が見えない
珠世様の術が効いた、視覚夢幻の香、強さは上げましたね
何だこれは
愈史郎、今よ
はい
これは先程のお返しだ
なんて硬い首だ
鬼が死ぬことはありません、今のうちにここから離れます
はい
逃走ルートに護符はすでに打ってあります、行きましょう
逃亡者とあの坊主、許さんぞ
どこへ行った
建物はもちろん、地面が陥没するような仕掛けをしておきました
これで少しは足止めができると思います
脱出の準備は本当にばんぜんでしたね
ありがとうございます
あとは朝までに隠れるところを探さないと
大丈夫です、こういうこともあろうかと、この先に空き家を確保してあります
本当にあなたって人は
珠世様
何ですか
先程の患者のことなんですが
埋蔵する時に、衣服の中から手紙が出てきました
親一人ご一人で、明日が一人娘の嫁入り日だったようです
そう、それであと一日生きたかった
人を鬼にする試みは、俺が珠世様から鬼化の治療を受けたあとも
瀕死の患者に限ってという条件のもと続けられてきた
しかしそのすべてが失敗に終わっている
成功したのはいまだ、俺の一例のみだ
どうして俺には適合して他の者には合わないのでしょう
鬼化しない以上、薬として万能に至っていないということなのでしょう
少なくとも二人の方に愈史郎と同じ液体を注入しましたが
結果は知ってる通りです
今回は年齢や性別、症状を判断した上で、違う液体を注入してみましたが
結果は変わりませんでした
鬼については、まだわからないことばかりですね
残念だけど、私の力不足で、多くの方の命を救うことができなかった
珠世様のせいではありません
珠世様は命を軽んじることなどない
いつもどのような時も、誠実に向き合って来られた
愈史郎
俺を鬼にする時、珠世様はこう仰りましたよね
生きたいと思いますか
本当に、人でなくなっても生きたいと
そして、珠世様は自らが鬼であることを隠し
人の血を体に入れながら過ごした、二百年に渡る孤独
その孤独を俺に味わせたりしないと、そう言ってくれました
俺はどんな時も珠世様と一緒です
これからも、ご一緒させてください
愈史郎、ありがとう
珠世様は本当に美しい
俺は未来永劫、この美しいお顔を見て
珠世様と同じ時間を過ごしていきたい
心よりそう思います
愈史郎、私の顔に、何がついていますか
いいえ
じゃあ、何か
いま、俺が思ったことを口に出していいですか
構いませんが
珠世様は美しい
珠世様は今日も美しいぞ
何ですか急に
お許しが出たので、思ったことを口にしたまでです
では、そういうことは口にしなくて大丈夫です
嬉しいですが、そういうことは心の中だけで思ってください
そうか、心の中で思うのはいいんだな
では、行きましょう
隠れ家まで、もうすぐです
はい
今日も珠世様は美しい
きっと明日も美しいぞ
終わり